2022年5月12日放送される『櫻井・有吉THE夜会【麒麟川島&南キャン山里昔は大嫌い同士の㊙話】』に出演された麒麟川島さんですが、若い頃は暗かった?と話題になっています。
今回は麒麟川島さんの若い頃にフォーカスしていきましょう!
麒麟川島さんは若い頃は暗かった?

2021年4月11日に放送された『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞!!』に川島さんが出演された際に、
「僕はもうめちゃくちゃ暗かったんで友達もいないし、漫才終わりずっと何も喋れず…」と、内気だった自身の性格について切り出した。
https://e-talentbank.co.jp/news/enta/207220/?type=desc
と語られています。
暗かったのは人見知りが原因

2010年4月1日に放送された『アメトーーク ゴールデン3時間SP 人見知り芸人2』に川島さんが出演された際に、
相手の目を合わせられない川島さんに先輩から「目を合わせなくてもいい。相手のここを見ろ」と眉間を見るよう教わったそうです。
初対面のビッグな先輩が、打ち上げの場で熱い話をしてくれた時に「目を合わす勇気はないから相手の眉間ばっかり見てたら、30分ぐらいして、「おい、なにしてんねん、川島。帰れ!!」ってむっちゃ怒られたんですよ。」と語られています。
川島さんは真剣に聞いていたそうですが、「相手の眉間見て集中するときって、だいぶん目がこんな感じ(寄り目)になるんですよ(笑)」と寄り目になってしまったことで馬鹿にされていると捉えられたのでしょうね(笑)
人見知りが原因で楽屋では誰とも会話をしなかったそうです。
そんな様子を見た周りの芸人さんから「暗い人」と思われていたのでしょうね。
変わったきっかけはザキヤマさん!

2019年1月12日に『カジサック KAJISAC』に出演された際に、暗かった過去や変わったきっかけなどが語られています。
カジサックさんからも「目もあったことがないレベル。当時は暗かったじゃないですか?」と振られると、川島さんも「当時はめちゃくちゃ暗かったです。」と語られています。
そんな川島さんが急に楽屋で明るくなったタイミングがあったそうで、カジサックさんから話が振られると、「恥ずかしくて言えなかったけど、ザキヤマさんの影響なんです。」と語られています。
身近にあるものを全部笑いに変えてしまうザキヤマさんは、川島さんにとって衝撃的だったようです!
川島さんの当時の笑いの武器はスナイパーしかなかったようで、一発ダーン!と笑いをとっていたそうですが、ザキヤマさんがいると「台本の半分で終わってしまっていた。」と話されるように、不完全燃焼に終わっていたそうです。
本番だけでなく、「本番終わってメイクルームでもブワァーやってるザキヤマさんを見た時に、普段から明るいこと言って本番ではもっと明るくならないといけないなと思うようになった。と話されています。
当時はお笑いの武器を1つしか持っていなかった川島さんですが、ザキヤマさんがきっかけで明るくなろうと努力されたようですね。
川島さんは「アメトークのザキヤマ芸人のDVDを2000回は見た。」と話されるくらい努力されています。
相方にしかピンマイクが付かなかった過去も!

以前は周りの芸人さんからも「暗かった。」と言われていた川島さんは、ザキヤマさんがきっかけで変わる努力をされていますが、
その努力が実り現在では、「日本でいちばん明るい朝番組」『ラヴィット!』(月~金曜前8・00)でMCを務めるほどになられています。
そんな川島さんですが、相方にしかピンマイクが付かなかった過去もあるようです。
コンビ結成2年で『M―1グランプリ』決勝進出

お笑いの実力は、昔から高く、1999年に相方の田村裕さんとコンビを結成した川島さんは、わずか2年後の2001年に、
その年から始まった漫才日本一を決める『M―1グランプリ』で決勝進出を果たされています。
結果は5位でしたが、審査委員長を務めていた島田紳助さんから絶賛されるなど“ダークホース”として爪痕を残されています。
2019年1月12日に『カジサック KAJISAC』に出演された際に、「それまで週に1回しか仕事がなかったのが、月1回休みになって次の年の1月にレギュラー6本(東京1本、関西5本)になりました。」と語られています。
『M―1グランプリ』で決勝進出を果たされ、島田紳助さんから絶賛されたことで、一夜にして状況が変わったそうです。
一夜にして状況が変わるからこそ、長年芸人を続けられる方も多いのでしょうね。
『M―1グランプリ』の結果が3年連続3位

2001年~2008年の8年間『M―1グランプリ』に出場されていますが、2004年、2005年、2006年と3回連続3位だったことで、何か変えなければいけないと思った川島さんは、2007年に東京に行くことを決意されたそうです。
2007年スタイルを変えたりしながらやろうとしていた矢先に相方の田村さんが、「ホームレス中学生」で大ブレイクされています。
「ホームレス中学生」で大ブレイクした相方

2019年1月12日に『カジサック KAJISAC』に出演された際に、相方にしかピンマイクが付けられなかった過去があることを語られています。
相方の田村さんは、楽屋で貧乏話をちょこちょこ話されていたそうで、
その話を聞いたFUJIWARAの原西さんから「もっとちゃんとした話まとめてちゃんとエピソードにしなさい。」とアドバイスを受けられたそうです。
「いま思えば、パチンコで言うところの激アツ演出がたくさんあったんです。小学生までは商店街や学校が近くにある便利なエリアの団地に住んでいたのですが、中学入学の日に学校から遠く離れた場所に引っ越し。兄がバイト代で買ったミニコンポが突然なくなったかと思えば、その次はエアコンがなくなったり。それである日、帰宅したら自宅が差し押さえられていて、父親に“これからはおのおの頑張って生きてください。解散!”と言われたり……」
https://news.line.me/articles/oa-shujoprime/9fd28be33bd8
中学2年生のとき自宅が差し押さえられてしまったことで、ホームレス生活を経験されていたという話を各地でしていたら、ドカドカウケるようになったそうです。
その後いきなりすべらない話に呼ばれ、MVS(Most Valuable すべらない話)という1位を獲得されています。
すべらない話でMVS(Most Valuable すべらない話)を獲得されたことで、まさかの川島さんに執筆依頼があったそうです!
田村さんではなく、なぜ川島さんに執筆の依頼があったのだろうと思ってしまいますよね(笑)
「多分田村さんは字がかけないだろう。」と川島さんに執筆依頼があった経緯を語られています。
もちろん執筆依頼はお断りしたそうで、田村さんが仕事の合間を縫って執筆活動をされていたそうです。
225万部売れた「ホームレス中学生」

田村さんの誕生日に出版したらいきなり10万部が売れたそうで、
「芸人もぶわーしゃべる。MVSの効果もあって、帯を麻生太郎さんが書いたというのもあって、225万部。相方が急に2億円を持つ。」と語られています。
相方の田村さんが2億円稼いだことで、漫才がウケなくってしまったそうです。
当時、「ホームレス中学生」が爆発的に売れたことで、テレビに引っ張りだこになったそうですが、田村さんにだけピンマイクが付けられ、川島さんにはピンマイクが付かない時期があったようです。
そんな川島さんに気を使ったスタッフがピンマイクではなく、胸元にブローチを付けてくれたそうです(笑)
田村さんのピンマイクに顔を近づけて川島さんはしゃべっていたそうなので、相当辛かったでしょうね。
『ラヴィット!』でMCを務めるほどの方がこのような時期があったことに驚きですよね。
まとめ
2022年5月12日放送される『櫻井・有吉THE夜会【麒麟川島&南キャン山里昔は大嫌い同士の㊙話】』に出演された麒麟川島さんですが、若い頃は暗かった?と話題になっています。
今回は麒麟川島さんの若い頃にフォーカスしていきましたが、人見知りが原因で暗かったようです。
そんな川島さんはザキヤマさんがきっかけで変わられ、今では『ラヴィット!』でMCを務めるほどになられています。
相方の田村さんが出版された「ホームレス中学生」が爆発的に売れたことで、田村さんにだけピンマイクが付けられ、川島さんにピンマイクが付かない時期もあったようです。
今のご活躍からは信じられないですよね!
今後も麒麟のお二方のご活躍に期待しています。
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